若者のコロナ感染者が邪魔をして、年寄りの感染者が治療現場にたどり着けず、途中で死亡して、死者が過去最多を更新している。その中でインフルエンザと同等の5類に引き下げるとかマスク不要にするとか報道されていて、そのことに抗議する声すら報道されていない。そんな状況なのに巨額の防衛費増大を賄うのに増税をお願いしたいなどという主張が公然と報道される。防衛費は国民の命を守るためだろう。コロナでインフルエンザよりはるかに多い死亡者が日々出ているのに、コロナから国民の命を守る対策を何もしておらず、医療現場任せにしている。嘆かわしいのは、こんな対応の政権に抗議する国民の声がないことである。自分のことしか考えない、まさに殺伐とした日本の現状を象徴しているかのようだと思うのは、私だけなのか?
ウクライナも然り。戦争が長引けば長引くほど死ぬ必要のない人々の死者が増えるのに、和平の動きなど全くなく、ウクライナに戦車やミサイルを供与するなどの、戦争を長引かせる話ばかりなのはどうしてなのか。裏で武器製造会社が暗躍しているのか?たとえどのような戦争であれ、戦争は死ぬ必要のない命を奪う悪なのだ。正義の戦争などあるものか。ウクライナの国民の命などなんとも思っていないのだろう。所詮他国の人間の命くらいにしか思っていないから、戦争を長引かせることしかしていないのだ。恥ずべきことである。
長年惰性で購読していた新聞を他紙に換えた。惰性というのは変えるのが難しいようで、しばらく前から記事が気に入らず、読むたびに腹が立つことがしばしばだったが、購読をやめると言い出せずにきてしまった。政権の広報誌のような新聞で、政権の意向を知るのに都合がいいか、なんて屁理屈を考えて、取り続けていたが、さすがに堪忍袋の緒が切れてやめると言ったら、入れ替わり立ち替わり販売店から人がやってきて、断るのに大変な苦労をした。いくつか試読した末、今の新聞にしたが、記事が気に入ったからではない。今までより少しマシな程度、腹が立つ回数が減った程度の新聞である。そもそも日本の新聞その他のメディアでそのまま信用できるニュースは、自然災害や犯罪や事故のニュースくらいで、重要なニュースは外国の報道と照らし合わせるようにしているくらいだ。日本の報道機関は、日本記者クラブという、もともとは内閣府所管の社団法人が公益社団法人に衣替えしたところが牛耳っていて、そこに加盟しないと動きが取れないようになっている。日本の新聞記事が似たり寄ったりなのはそのせいだ。報道の自由度ランキングというものが毎年発表されていて、2022年の日本は71位で、大方のアフリカ諸国よりも下である。日本が先進諸国の中で政権政党が変わらない希少な国の原因の一端はそこにある。
犬を散歩させて帰ってきたらテレビを一日中つけっぱなしという家庭が大半では、コマーシャルを一日中聞いているのと同じだから、ひっきりなしに耳に入ってくる報道の内容を、自分の考えのように錯覚してしまうのも無理はない。そんな錯覚をもとに世論調査などというものが実施されて、あたかも鬼の首を取ったかのように報道されている。日本では他の先進国では当たり前の政権政党の交代がなぜ起きないのか、青天の霹靂で交代が起きたとしても、何故あの野田民主党政権のような無様な転落をしてしまうのか、それはその理由の一つである。