福島原子力発電所からの汚染処理水の海洋放出で、中国が日本の海産物の輸入を禁止している問題の解決策として、8/29にこのように書いた。「福島第1原発処理水の海洋放出の負の影響を最小限に抑えるには、海水検査を近隣諸国と共同で実施すればよい。日本単独の検査では、他国の懸念を払しょくすることはできないのは自明である。たとえば中国や韓国の検査機関と共同で海水検査をし、問題なしとなってこそ、様々な負の影響を減じることができる。」 日本政府に処理水検査に関して、何らやましいことがないならば、日本政府が近隣諸国に積極的に働きかけて、共同検査を実施し、国際的な基準に合致していると納得してもらい、海産物輸出再開に道を開くことが、合理的解決策であり、国民の税金使用を最小限に抑えることになる。処理水放出後、環境省などが発表している検査結果は、国際基準の限度値を大きく下回っているのだから、近隣諸国に共同検査を働き掛けることは全く問題ないはずだ。その最善の解決策を、自民党政府はなぜしないのか?国民は疑問を呈すべきであろう。
東京新聞の10月21日の紙面に池内 了氏の「原発処理水の安全基準 政府の明確な欺瞞」という見出しの記事が載っていた。その内容に感銘を受けたので、池内氏の主張の一部を以下に引用する。福島原子力発電所の汚染処理水の海洋放出に反対する者は「科学的ではない」との主張に、氏はこう反論する。『科学者は現代科学の不十分さをよく知るがゆえに、安易に「科学的」という言葉を使わない。』『政府は、トリチウムを含んだ水は海水で希釈していて「安全基準」を満たしていると強調している。しかし、これは言葉のトリックである。ICRP(国際放射線防護委員会)は、放射性物質はどんなに微量であっても、その量に比例した危険があるという「しきい値なし直線仮説」を採用している。安全性優先原則に立った放射線防護の考え方で、この立場ではこれ以下なら安全という基準はない。つまり、「安全基準」はないのである。』 IAEAがレビューの包括報告書で、福島原子力発電所の処理水放出は、国際安全基準に合致していると言っているのは、安全上の基準に合致しているということで、危険がゼロと言っているわけではない。IAEAの安全上の基準は『原子力を利用するためには、やむを得ず被らざるを得ない危険があり、それを最小限にするための目安なのである。耐震基準や水質基準のような、これ以下ならなんとかガマンしようと取り決めた量でしかない。だから、「規制(放出、環境)基準と呼ぶのが正確で、安全基準と誤認してはならないのだ。』 処理水放出に関しても『「科学的証明」という言葉が頻繁に使われるのだが、実は科学者はあまりその言葉を使いたがらない。というのは、現在の科学の方法には必ず限界があって、科学によって100%証明できることはほとんどないということを、科学者自身がよく知っているからだ。人々は99%正しければ1%の不足はあっても100%正しいと見なして、「科学の勝利」を宣言しようとする。しかし、科学者はその1%の不足を気に病んで、「科学的証明」と言うことをむしろ恥ずかしく思うのだ。まだ不十分なのに、万全であるかのように言いたくないのである。』
池内氏の主張には、科学者としての良心がある。雑音にひるむことなく、今後も科学者としての良心から発する主張を続けていってください。全くの微力者ですが、心から応援しています。