年末になると決まって頭に浮かんでくる一節がある。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」別段感傷的になっているのではないが、不思議と平家物語のこの一節が脳裏をよぎるのである。
ドラマの中の音楽に引きつけられて、韓国ドラマを見始めたのは20年ほど前である。脚本には大して魅力を感じなくても、音楽に魅了されて最終話まで見てしまうのが常であった。それが10年ほど前頃からか、感性に響く音楽がドラマから消えてしまい、ドラマの魅力が半減してしまった。脚本がつまらなくても音楽の魅力で見せられていたのに、音楽の魅力がなくなると、脚本の出来栄えだけが目につくようになり、脚本がつまらないと、気に入っている俳優が出ているドラマでも、見るのを途中でやめることが多くなり、今では10本に1本くらいしか最終話まで見終える作品がなくなってしまった。ドラマに音楽がなくなってしまったのではないから、私の感性と齟齬をきたしてしまったということである。韓国ドラマからは、クラシック音楽のいくつかも教えられた。今でもそのクラシック音楽をときどき聞いている。ドラマから音楽の魅力がなくなると、似たり寄ったりの脚本がほとんどで、感動させるような筋立てのドラマがほとんどないと思うようになり、韓国ドラマを見たいと思うことも少なくなってしまった。楽しみが一つ減ってしまい寂しく感じている。脚本も所詮人間が作っており、人間界で起こることは、ある意味で繰り返しなのだから、斬新な脚本は稀にしか現れないということなのだろう。