日本とドイツ 似て非なる国 4  2024年9月29日

「わが日本古より今に至るまで哲学なし。本居篤胤の徒は古陵を探り、古辞を修むる一種の考古家に過ぎず、天地性命の理に至ては瞢焉たり。仁斎徂徠の徒、経説につき新意を出せしことあるも、要、経学者たるのみ。ただ仏教僧中創意を発して、開山作仏の功を遂げたるものなきにあらざるも、これ終に宗教家範囲の事にて、純然たる哲学にあらず。近日は加藤某、井上某、自ら標榜して哲学家と為し、世人もまたあるいはこれを許すといへども、その実は己れが学習せし所の泰西某々の論説をそのままに輸入し、いはゆる崑崙に箇の棗を呑めるもの、哲学者と称するに足らず。それ哲学の効いまだ必ずしも人耳目に較著なるものにあらず、即ち貿易の順逆、金融の緩慢、工商業の振不振等、哲学において何の関係なきに似たるも、そもそも国に哲学なき、あたかも床の間に懸物なきが如く、その国の品位を劣にするは免るべからず。カントやデカルトや実に独仏の誇なり、二国床の間の懸物なり、二国人民の品位において自ら関係なきを得ず、これ閑是非にして閑是非ならず。哲学なき人民は、何事を為すも深遠の意なくして、浅薄を免れず。わが邦人これを海外諸国に視るに、極めて事理に明に、善く時の必要に従ひ推移して、絶て頑固の態なし、これわが歴史に西洋諸国の如く、悲惨にして愚冥なる宗教の争ひなき所以なり。明治中興の業、ほとんど刃に衄らずして成り、三百諸侯先を争ふて土地政権を納上し遅疑せざる所以なり。旧来の風習を一変してこれを洋風に改めて、絶て顧籍せざる所以なり。而してその浮躁軽薄の大病根も、また正に此にあり。その薄志弱行の大病根も、また正に此にあり。その独造の哲学なく、政治において主義なく、党争において継続なき、その因実に此にあり。これ一種小怜悧、小巧智にして、而して偉業を建立するに不適当なる所以なり。極めて常識に富める民なり。常識以上に挺出することは到底望むべからざるなり。亟かに教育の根本を改革して、死学者よりも活人民を打出するに務むるを要するは、これがためのみ。今の日本を大体此のままに成し置き、漸次改正を加へて進み将ち往くべき耶、将た亟かに大革新して一の欧羅巴国と為すべき耶、これ今日国柄を秉る者の最も首に胸中に決せざるべからざる事なり。これ予算に苦しみ、対議会に窘しみ、閣僚の統一に尽瘁して、その他一歩も余地を留めざる底の侯伯者流にありて、到底夢想し能はざる所なり。」 中江兆民(1847~1901年)「一年有半」岩波文庫 今も変わらない日本国民の特性を見事に表現している。

ドイツはロシアウクライナ戦争でウクライナ側に立ったため、エネルギー源の主力だった天然ガスのロシアからの供給を止められて、厳しい経済苦境に追いやられている。福島原子力発電所爆発を見て、それまでの原子力発電推進政策から原子力発電全廃に一気に舵を転換したドイツが、日本のように原子力発電推進に再転換するのか気になった。また第二次世界大戦で日本と同様敗戦し、無条件降伏した両国の戦後の歩みの違いを知りたいと思った。参考にした本は長年ドイツに在住して、ドイツについて発信しているジャーナリストの熊谷徹氏の著書である。日本とドイツふたつの「戦後」(2015年)、ドイツ人はなぜ、年290万円でも、生活が「豊か」なのか(2019年)、パンデミックが露わにした「国のかたち」(2020年)、ドイツはなぜ日本を抜き「世界3位」になれたのか(2024年)。これらの本から「ドイツという国のかたち」に多大な感銘を受けた。

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