日本とドイツ 似て非なる国 2 2024年9月1日

営業車で交差点で信号が青になるのを待っていた。道路の向こう側の前方左側から小学5~6年生と思しき子供の乗った自転車が走ってくるのが見えていた。青信号に変わったので、いつもの通り一呼吸おいて左右を確認してから発進した。一呼吸置くことにしているのは、黄信号から赤信号への替わり目で交差点に突入してくる輩や、赤信号に変わった後でも突入してくる命知らずの輩をよく見かけるからだ。そんな輩と衝突事故を起こして、人生を棒にするような大馬鹿を絶対しないと心に決めて運転している。交差点の中央に差し掛かって急ブレーキを踏んだ。なんとその小学生は、赤信号を無視して、私に車の直前を横切ったのである。しかも渡り終わって振り返り、にやりと笑った。呆気にとられて、しばしの間交差点の真ん中で停止したまま、その小学生が走り去る姿を呆然と眺めていた。

米国はカネで自分等の利益になるように、正義を捩じ曲げる国だ。日本はカネで為政者の利益になるように法を捩じ曲げる国である。自民党政権のように、憲法さえも捩じ曲げて無視する。首相から上述した小学生まで一貫しているのは、法を守らないということである。発展途上国の独裁政権ならいざ知らず、先進7か国の一員だなどと言っている国の政権が憲法を捩じ曲げ、法を守らない。驚くべきことだ。もっと驚くべきことは、裏金問題に象徴される法を守らない政権が、政権の座に居座っていられることだ。国民もメディアもああだこうだと批判するが、法を守らない政権を追い出そうと行動しないことである。こんな国は発展途上の独裁政権国でもなければ例がないだろう。

ドイツは日本と同様無条件降伏して、敗戦国から経済発展国へめざましく変貌した国である。日本とドイツの根本的な違いは法に対する国民の対応である。ドイツは杓子定規なほどに厳密に法律を順守する。それが当たり前だと国民が納得している国だ。日本は違う。国の基本法である憲法を政権が守らないだけでなく、議会制民主主義の根幹である国会さえ軽んじて、国民の命に直結する防衛問題を、国会で議論せず、内閣が勝手に決めて、外国に伝達し、既成事実化してしまうようなあきれ果てた政権が続いている。さらにあきれ返るのは、国民やメディアが、そんな政権を変えようと行動しないことだ。購読している新聞は、第二次世界大戦の体験者の話をしばしば掲載している。私はその方針を強く支持するひとりだが、残念なことに体験者の話は、戦争は悲惨だから戦争は嫌だと嘆いているだけで、戦争にならないようにするにはこういう行動を国民がとらなければならないった具体策がないのである。第二次世界大戦の悲惨さを後世に伝えなければといった切実な思いはよくわかるが、実際に必要なのはどう行動すれば戦争を防げるかということだ。戦争の悲惨さを嘆いているだけでは、戦争は抑止できないのである。

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