断腸亭日乗を読む 五 2024年8月29日

1925年10月24日にこう記す「十月廿四日。晡時太陽堂の中山豊三訪ひ来たり、プラトン社発行の雑誌に従前の如く寄稿せられたしとて、頻りに礼金のことを語り、余の固辤するをも聴かず、懐中より金五百円一封を出して机上に置き去れり。近来書賈及雑誌発行者の文人に向ってその文を求むる態度を見るに、あたかも大工の棟梁の材木屋に徃きて材木を注文するが如し。そもそもかくの如き悪風の生じ来りしは独書賈の礼儀を知らざるに因るのみならず、当世の文人自らその体面を重ぜず、膝を商估の前に屈して射利を専一となせるに基くなり。されば中山の為す所も敢えて咎むべきにあらず。悪むべきは菊池寛の如き売文専業の徒の為す所なり。」文藝春秋を創刊し、芥川賞、直木賞を創設した菊池寛も荷風にあっては形無しのようだ。大工の棟梁が材木屋に材木を注文するように、書賈が文士に作文を注文すると言っているところがおもしろい。荷風には文士としてのプライドがあった。

「十二月廿一日。風雨と共に寒気また甚しく書窗黯澹たり。午後に至るも手足の冷るを覚えたれば、臥牀に横りてプルーストの長編小説を読む中、いつしか華胥に遊べり。既にして鄰家読経の声に夢寤るや、空霽れわたり、窗前の喬木に弦月懸りて、暮靄蒼然、崖下の街を蔽ひたり。栄泉が藍摺の版画を見るが如し。これ同じ山の手にても、大久保の如き平坦の地にありては見ること能はざる光景にして、予の麻布を愛する所以なり。そもそも今日のごとき寒雨の日、雞犬も屋外に出ること好まざる時、終日独炉辺に閒座し、心のままに好める書を読むことを得るは、人生無上の幸福にあらずや。これ畢竟家に恒産あるがためと思へば、予は年と共にいよいよ先考の恩沢に感泣せざるを得ざるなり。昨宵楽天居句会に赴かむとする途次、品川停車場の雑遝を見し時にも、予は日々かくの如き修羅の巷に奔馳する人に比して、つくづく無為閒散の身の幸なるを思ひて止まざりき。古来の道徳文教蕩然として地を払ひたる今日の如き時勢にありては、功業学術倶に皆糞土の如し。人間もし晏然として草木の腐朽するが如く一生を終ることを得ば、かへって幸いなりといふべきなり。・・・以下略」 うらやましいかな。先考の恒産で荷風は食べるに事欠くことないだけでなく、作文を趣味として生きることができた。荷風にとって、終日独炉辺に閒座し、心のままに好める書を読むことを得るは、人生無上の幸福であった。

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