断腸亭日乗を読む 二   2024年7月21日

荷風の庶民蔑視、田舎者蔑視は度外れている。ロボットのように、決められたことだけを繰り返す人がいるが、そういう人は、相手の立場に身を移して、自分がその人だったらどう考えどう行動するか、ということを想像する能力が欠けている。荷風の頭の中では、庶民は単なる穢らわしい風景に過ぎない。

「1922年4月2日 午後庭に出で再び野菊の根分をなす。晩間銀座に徃くに電車街路斉しく田舎者にて雑踏すること甚し。年年桜花の時節に至れば街上田舎漢の隊をなして横行すること今に始まりしにあらず。されど近年田舎漢の上京殊に夥しく、豪も都人を恐れず、傍若無人の振舞をなすものあり。日本人と黒奴とはその繁殖の甚だしきこと鼠の如し。米国人の排日思想を抱くもまた宣なりといふべき歟。」 貧にあえぐ人々が多産なのは、子供を働き手にして一家を支えるためである。今の時代にあっても発展途上国にあっては、その実態は全く変わらない。裕福な荷風にはそれが見えないのか、あえて見ようとしないのか。あめりか、ふらんすに遊んだ荷風が黒人蔑視とは。見たいものだけしか見ない荷風の人間観の表れか。子供が多くては一家を支えることができない少子化時代の現在と隔世の感あり。

「1922年4月11日 銀座にて昼餉をなす。帰途愛宕山の裏手なる天徳寺横丁を過ぐ。小学校あり。教師の講義する声窓より漏れ聞ゆ。何心なく塀外に佇立みて耳を傾るに、教師は田舎漢とおぼしく語音に訛あり。かつまたその音声の職業的なること宛然活動弁士の説明を聞くが如く、また露店商人の演舌に似たり。余が小学校にありし頃に比すれば教師の人格の甚しく低落したるは、その音声を聞けば直ちにこれを知り得べし。敢えてその他を問ふには及ばず。」 義務教育が普及し、1920年には就学率が99%を超え、大正末期にはほとんどの人が文字の読み書きができるようになり、教育の大衆化が進展した。その担い手は、荷風の回想する人格あふれる教師だけでは足りず、大半が田舎漢の教師であっただろう。荷風には現実を直視する姿勢が乏しい。昔を懐かしみ現実を嘆くだけで、食べるに困らぬゆえ得られる位置に佇む傍観者でしかない。

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