「1921年11月5日 百合子来たる。風月堂にて晩餐をなし、有楽座に立ち寄り相携えて家に帰らむとする時、街上号外売の奔走するを見る。道路の談話を聞くに、原首相東京駅にて刺客のために害せられしといふ。余政治に興味なきを以て一大臣の生死は牛馬の死を見るに異ならず、何らの感動をも催さず。人を殺すものは悪人なり。殺さるるものは不用意なり。百合子と炉辺にキュイラッソ一盞を傾けて寝に就く。」 荷風にとっては首相が暗殺されても、牛馬の死を見るに異ならず。食うに困らぬ荷風には、現実を直視し、世の中がどう展開し、自身にどう影響してくるかなど、全く頭にない。天の定めで、自分にはどうしようもないと思っているかのようだ。いずれ日本が第二次世界大戦に突入し、荷風の頭上に爆弾の雨が降り続けても、同様に言うのか興味津々である。