摘録 断腸亭日乗(上) 【岩波文庫】を読了。1917年から始まって1936年末まで約20年間、大正6年から昭和11年まで。断腸花は秋海棠の異名である。断腸亭は秋海棠の花咲く家と私は解する。
断腸亭日乗を読み始めたのは、明治大正昭和の三つの時代を生きた一文士に、日本がどのように見えたのかを知りたかったからである。近代文語文を勉強したいとも思っていた。名文家で知られる荷風の日記がちょうどよいと思った。
政治を毛嫌いした荷風には首相が暗殺されても、牛馬の死と変わることがなかった。断腸亭日乗(上)に綴られていることは、遊女とのあれこれ、東京の散策、広範な読書、文士との付き合い、家の花々、その他身辺雑事でほぼすべてと言ってよいくらいである。1917年ロシア革命、1918年第一次世界大戦終結、1920年国際連盟発足、1925年治安維持法成立、1926年昭和天皇即位、1929年金融恐慌、1931年満州事変、1932年5.15事件、1934年ヒトラー政権、1936年2.26事件、これらの出来事は荷風の心にほとんど響かなかった。荷風の身辺雑事に大きな影響を及ぼさなかったからである。関東大震災は荷風の身辺雑事に大きな悪影響を及ぼしたが、荷風には「近年世間一般奢侈驕慢、貪欲飽くことを知らざりし有様を顧みれば、この度の災禍は実に天罰なりといふべし。何ぞ深く悲しむに及ばむや。」であった。こんなわけで、荷風の日記は、日本の歴史を知るという目標にはほとんど役に立たなかったが、近代文語文の勉強には頗る役に立った。