荷風晩年の齢に差し掛かって、この変人が何を思って、どう生きたか気になり、岩波文庫「摘録 断腸亭日乗」を読むことにした。荷風は、亡父の遺産と「あめりか物語」で流行作家になったことで裕福であった。自民党政権と日本銀行がタッグを組んで為している、円安、物価引き上げ、増税政策による過半の国民窮乏化政策によって、とことん苦しめられている私とでは立ち位置が全く違うが、なぜか荷風を近しい存在と感じる。日記はレーニン率いるロシア10月革命が起きた1917年、荷風満37歳から始まる。
まず、とっかかりから難儀したのは、自分の日本語の知識があまりにも乏しく、たった一行を読むのに辞書が必要ということであった。今更に、古文漢文の勉強の必要を悟った次第である。
1919年5月12日(満39歳)にこうある。「余は日本現代の文化に対して激烈なる嫌悪を感ずるの余り、今更の如く支那及び西欧の文物に対して景仰の情禁じがたきを知ることなり。」 西欧崇拝の権化のようだが、時代を考えれば当然のことか。自分も20歳台後半まで同様であった。月日が経ち、今では日本文化に激烈ではないが、嫌悪感を持つ歳になった。
「7月20日 暑さきびしくなりぬ。屋根上の物干台に出で涼を取る。一目に見下す路地裏のむさくろしさ、いつもながら日本人の生活、何らの秩序もなく懶惰不潔なることを知らしむ。世人は頻に日本現代の生活の危機に瀕することを力説すれども、かくの如き実況を窺見れば、市民の生活は依然として何のしだらもなく唯醜陋なるに過ぎず個人の覚醒せざる事は封建時代のむかしと異なるところなきが如し。」 生活に困らぬ収入のある荷風が、貧に苦しむ人々の毎日を、高みの見物している情景である。 日本人の生活は、今では何らの秩序もなく懶惰不潔ではないが、個人の覚醒せざる事は封建時代のむかしと異なるところないのは、荷風の時代と変わらない。いつになったら個人が覚醒するか、歳を重ねるごとに、過半の日本国民は愚かなりとの思いが募るばかりである。簡単な経済事象さえ理解しない人が多すぎる。自分の置かれている状況を把握し、明日をより良くしようとする向上心が、根本的に欠けている。そこがイギリスやフランスの国民との大きな違いである。人間の質が違うのか?教育が個人の尊厳を大前提にしているかの国々と、物言えぬ国民を作り出すことに熱心な教育のこの国との違いか?